>司馬遼太郎

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平和とは、まことにはかない概念である。単に戦争の対語にすぎず、”戦争のない状態” をさすだけのことで、天国や浄土のように完全な次元ではない。あくまでも人間に属する。平和を維持するためには、人脂のべとつくような手練手管が要る。平和維持にはしばしば犯罪まがいのおどしや、商人が利を逐うような懸命の奔走も要る。さらには複雑な方法や計算を積みかさねるために、奸悪の評判までとりかねないものである。例として、徳川家康の豊臣家処分をおもえばいい。家康は三百年の太平をひらいた。が、家康は信長や秀吉にくらべて人気が薄い。平和とは、そういうものである。
なぜリアリズムを失ったか 。。。 どうして大正のある時期に、日本はもう戦争はできない、専守防衛の国である、ということがいえなかったのでしょう。 。。。 陸軍省や海軍省の省益がそれをさせなかったのでしょうな。官吏としての職業的利害と職業的面子が、しだいに自分の足もとから現実感覚をうしなわせ、精神主義に陥っていったのでしょう。物事が合理的に考えられなくなる。 。。。

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